生きる時間
心臓の鼓動は一体どれくらいの数なのか?
そんなことを考えたことがありますでしょうか?

インターネットでちょっとチェックしてみました。
睡眠時や運動時、興奮した時と平静の時・・・・・・それぞれ鼓動や呼吸数は異なるでしょうが、概ね1分間に15回の呼吸。
鼓動は70回程度。
15回×60分×24時間×365日×80年とした場合に630,720,000回。
70回×60分×24時間×365日×80年とした場合に2,943,360,000 回。
一つ一つの呼吸と鼓動に合わせて私達は何かを感じたり、幸せの極みにあったり、ちょっと落ち込んでいたり、何も考えずにぼーっとしていたり、集中力のさなかに居たり色々ですが、私達には間違いなく鼓動と呼吸がある。
それが生きてることの前提にあります。
80年生きれば億単位の呼吸と鼓動をするわけで、心臓も肺もお疲れ様と言う労りの気持ちも湧いてきますが、普段そんなことは意識しませんね。
私自身そんなことは昨年の9月末まで考えたことありませんでした。
しかし、いつか止まる日がやってくることも間違いありません。
秦の始皇帝もナポレオン・ボナパルトも昭和天皇も止まる時が来た。
私も誰も彼も必ず止まる日がやってくる。
そう考えると聖なる動きと感じられないでしょうか?
時代と共に人間の生き方や価値観や考え方は変わって行きますが、生きるということの基本は500万年前と変わらないはずです。
500万年前の人類の祖先の時代から肺で酸素を取り込み心臓で体中に酸素を送り届け、何かを感じ、考え、行動してきたこの長い時の流れ・・・・・
私にも皆さんにも必ず両親が居ます。
その両親にも両親が居て、それは物凄い数で遡る・・・・
私達の存在はそんなたくさんの両親の存在があって、成り立つわけで、ただ居るのではなく、極めて奇跡的なものとして存在するのですね。
500万年と言う長い年月を経てこの世に送り出された存在・・・・
これを聖なる命と言わずなんというか?
その聖なる命があること、その命が心の底から笑い、喜び、幸せを感じる時・・・
こんなことを考えるのは年の所為かもしれません。
お若い皆さんはそんなことは無視してガンガン攻めていただきたいと思います。

しかし、悲しいことにこの後、一つの命が消えて行きました。
運命とは何ぞや!
余計なことをしない方が時にはいいのかもしれないとふと心に陰が舞い降りました。
お互い色々ありますが、喜びは自分で勝ち取りましょうね。